「お化けなんていない。死んだら終わりなことが一番怖い」


8月10日のTBSラジオ『伊集院光 深夜の馬鹿力』での伊集院さんの言葉です。


詳しくはこちらのリンクを。
私はこのラジオ番組を兎に角よく聴いています。ゆかりんの『fantastic future』の再生回数が1900回を超えてた私の基準で、です。産まれてから見聴きした中で、最も共感することの多い番組と言って間違いないでしょう。

文字だけでは伝わらない話術の技巧に溢れ、自然と感覚を連れていかれているので、どの話も自分の記憶に埋め込まれたかのような錯覚に陥ってしまいます。ちょっとこれ自体既に怖い話の域なんですがね。

お化けと龍
そんな中での今回のトークですが、これも本当に説得力というか、引力が強いです。

私は肉筆浮世絵を描いていて、中でも龍や鳳凰に異常な拘りがあります。いろいろな説話を読んではニマニマしています。しかし、実際に始皇帝が龍になり、家康が生まれる際に井戸から龍が飛び上がったとは思っていません。また玄関に龍を飾ったからといって金運が上がるとも思いません。

ただ私はそういった『成功』をハッキングしてきた龍という存在に興味があります。
そのディティールを想像する事で見えてくるリアリティにどうしようもなくワクワクしてしまうから、このワクワクを表現しよう! というのが私の中での龍や鳳凰を製作する姿勢です。

この辺り、ラジオのトークであった 霊能力者と怖い話好きはイコールじゃなくていい の下りと近いなぁと感じながら聴いていました。

リアリティのある怖さ
ときに私、3DCGを齧っています。こういうのです。実写合成ではなくアニメーションのほうですが、トーク中に出てきたAfterEffectsの話も使っているので大体わかります。

アニメーションを学んでいる人間の中で非常に有名な話として、「ディズニーは昔、波の音を作る際、沢山の小豆を入れた籠を振ったときの音を使っていた」というのがあります。これは『実際に波打ち際で撮ってきた音ではアニメの絵に寄り添うことができなかった』=『本物よりリアリティのあるものを貪欲に探せ』という教訓を後世に残しています。

これもおそらくは いくらでも怖いものは作れるよ の下りと近いのかなと感じながら聴いていました。

怖いものは怖い。
夜露に濡れた草に足が触れると気味が悪いです。自然と早歩きになるというか。まさに「お化けなんかいないさ。お化けなんかいないさ」です。しかし日本には地方病(日本住血吸虫症)という、濡れた草に足が触れただけでお腹が腫れて死ぬ病が40年前まで実在していました。

地方病は安土桃山時代にはすでにあった病で、明治時代までは原因もわからず、当時オカルトと結びついていたことは言うまでもありません。私はこの病を知るまで『田舎は田舎的であってほしい』と思っていました。しかし、そこに書かれていた悲惨な歴史に背筋が凍りつき、舗装されていない道をサンダルで歩くのすら少し怖くなりました。

でもいざ机に向かうと『あれはなんだったのだろう』『○○の仕業かもね』ぐらいで取り返しのつく距離感は、やはり大切にしていきたいと思ったりします。あやふやの中でしか活き活きと出来ない人間のエゴなのかもしれません。ただ今回のラジオのトークを聞いて、そういう美意識にももう少し目が向けられていいんじゃないか?と少し前向きになったので書きました。


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