身体性の根幹を伴い切れぬままネットに自分を見出している様は一見欠陥のように写るが、実際にはSNS自体,SNSのアカウント自体が身体性の付与を拒否し続けているように感じることが増えた。
メタバースという単語をすっかり聞かなくなったのは相互運用性の課題や動作環境のハードル以上に、機嫌や態度が共有される未来を我々が恐れているからではないのか。
SNSやネット自体が互いの感情をすり合わせることを嫌い、相手の今に無頓着でいることを讃歌しているように感じる。

2週間前